新聞でこんな記事を発見。
ひな祭りと五月祭りは、男女の性差を意識させる年中行事なので、学校教育への取入れを考えよう、という内容だった。

ひな祭りなんかの行事は半ば当たり前なので、一体どうしたらいいのかわからない。確かに性差による年中行事だけど、なんでもかんでも同等に、というのはあまり理解できない。
差別はよろしくないけど、やはり男女は区別することは必要でしょ。

ただ、「伝統」と呼ばれるものは、一般的に「普遍的な価値のあるもの」「守らなければならないもの」という概念がまとわりつく。伝統の一般的な解釈自体が問題なのだが、ひな祭りなどの行事がクローズアップされて、その是非を問うなんて、ジェンダー概念は進歩しているといえるんだろうか?

ワタシは両方あると思う。
なんか、ジェンダー論の本なんか読んでいると、少しヤッカミというか、なんでもかんでもジェンダージェンダーと言い始めると、ジェンダーの定義自体が不安定かつ、都合のよいもののような気さえしてくる。

同日の新聞に、米国出身女優が、国連で「日本の女性が離婚後半年間結婚できないのは女性差別だ。」と訴えたっていう記事も見た。

え?そうなの?
ワタシはその理由は、妊娠していることを仮定して、子供の父親を明確にしやすくするため、というのを聞いたことあるけど、それは彼女にとって女性差別らしい。
他の日本女性がどう思っているかはナゾだが、ワタシにはどうしてもそれが差別、となることがわからない。
その法律の制定の理由は納得できるものだし、離婚後の結婚とか、今の自分に全く関係ないかつ、半年間の期限で、それほど女性の人権が侵されるとは思えない。

それよりも、なんだっけ?キリスト教徒で聖書の言葉をそのまま信じる宗派(ど忘れした〜〜!!)による、中絶反対運動のほうが理解できない。それこそ、女性の人権侵害ではないか??

同じ演説で、その人は、アフリカの某国にある、「妻は夫に服従しなくてはならない」といった類の法律も批判したそうだ。

確かに、そんな法律!!って思うけど、やはりそれもその国の文化や考え方の一つなのだ。そんな類の、明らかに性別で権限が制限されている法律を擁護する気はないし、ワタシの考えでは廃止していくべきものだと思う。

けど、文化って、各々の国や民族の解釈で出来上がっているものだから、いくら客観的な視点から見たとしても、どうこう言えるべきものではないと思う。むしろ、他者から言ってはならないものだと思う。いくら非人道的な文化であっても、他者が変革を扇動してはいけないんじゃないかな、と思う。

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